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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)8190号 判決

原告 布施正

被告 国

訴訟代理人 館忠彦 外二名

主文

被告は原告に対し金二〇万円及びこれに対する昭和三〇年一一月二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金五〇万四三六六円及びこれに対する昭和三〇年一一月二日から支払まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べ

一、原告は昭和二〇年三月東京都立第一商業学校を卒業し、同年四月社団法人日本放送協会(現在の日本放送協会)職員養成所に第一技術科学生として入所、同二二年一一月同養成所卒業と同時に同協会技術局工作所に勤務するに至つたが、同二三年一〇月新制大学入学者認定試験に合格し、東京都立大学工学部電気科に入学、同二九年三月同大学を卒業して第一級無線技術士国家試験に合格し、爾来同協会施設局送信設備部に勤務するものであつて、今日まで刑罰をうけたことは勿論、捜査当局による取調べをうけたこともなかつたものである。

二、ところが、原告は昭和二七年夏頃台東区検察庁より「裁判費用を支払え。」との通告をうけたので大いに愕き、同庁に出頭調査したところ次の事実が判明した。すなわち訴外布施正こと布施貞(たゞし)(本籍千葉県匝瑳郡匝瑳村尾生、現住所、市川市国分町一、八八七布施よね方)は、昭和二二年頃窃盗容疑で千葉地方検察庁松戸支部に検挙、起訴されたが、その際同訴外人は原告と本籍地が類似しており、而も同姓且つ名を「たゞし」と呼ぶところから、偶々誤つて原告の本籍地役場(原告の本籍は千葉県匝瑳郡八日市場町口の二五八である)から取寄せられた原告の身上調書にしたがつて取調べが進められ、検察当局は軽卒にも同訴外人を原告と同一人として取扱つたゝめ、爾後同訴外人はそのまゝ原告の氏名を詐称して窃盗前科四犯を重ねた次第であるが、その国選弁護料の一部の支払がなされていなかつたことによるものである。

三、そこで原告は台東区検察庁に無実であることを具申し、不法前科の抹消を要求した結果、昭和二七年一〇月九日同庁から右抹消手続完了の旨の通告をうけた。

四、然るに昭和三〇年二月初旬原告は重ねて碑文谷警察署から呼出をうけ、同月八日出頭したところ、東京高等検察庁よりの指令で裁判費用の件で取調べる旨を告げられたので、原告は前記事情を説明し、更に同高等検察庁徴収係に出頭して抗議したが、同係では裁判費用の徴収事務以外はわからないから調査すると答弁するのみで要領をえず、やむなく原告は再び台東区検察庁に赴いて抗議したところ、結局前記訴外人には昭和二一年二月一八日松戸区裁判所言渡徴役一年六月、同年一二月五日同裁判所言渡徴役一年、昭和二五年一月三一日浦和簡易裁判所言渡徴役一〇月、昭和二六年四月二五日台東簡易裁判所言渡徴役一年二月の窃盗前科四犯があつたにもかゝわらず、同検察庁は前記抹消手続をするにあたり、最終刑(台東簡易裁判所分)の抹消手続をしたにとゞまり、その余の刑については何等の手続をとらなかつたゝめ、それが前科調査書に残存し、それに関する裁判費用が未納となつていたことによることが判明した。かくて原告は、やむなく同三〇年二月一七日日本弁護士連合会人権擁護委員会に提訴し、同委員会の尽力によつて同年四月四日頃不法前科全部の抹消を得ることができた。

五、元来国家公務員は「国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行にあたつては全力を挙げてこれに専念しなければならない。(国家公務員法第九六条)」し「職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用いなければならない。(同法第一〇一条)」ことが義務ずけられているところ検察庁は国民の基本的人権と最も密接な関係を有する義務を行う官庁であるから、その職員は他の行政庁のそれに比して個人の生命、身体、財産名誉、信用等の保護については一段と高い識見を有しているべきであり、本件不法前科抹消の衝にあたつた台東区検察庁検察事務官藤脇宏太、並びにその上司たる検察事務官井上某にあつても、本件は日常の義務と異り、原告の名誉、信用に重大な影響を及ぼすものであることに思いを致し、前科調書によれば同検察庁に対応する台東簡易裁判所で言渡された最終の刑の他に、前記三犯の存することが明らかであるから、最終刑のみならず、その余の三犯については、これが抹消手続をなすべき義務があるにもかゝわらず、これを怠り、何等の手続をしなかつたものであつて、右は過失により職務上の義務に違背したというべきである。

六、かようにして原告は昭和二七年夏頃台東区検察庁に出頭すること二回、昭和三〇年二月中碑文谷警察署その他に出頭すること数回に及び、そのため要した交通費等合計金四、三六六円の財産上の損害を蒙り、一方その間昭和二七年暮頃原告の本籍地で殺人事件が発生した際、原告が前科者として警察署の調査の対衆となつたゝめ、原告は前科者であるとの風評が流布し、その結果原告の両親、親戚は世間から白眼視され、結婚適令期にあつた原告は右風評のため縁談も実現に至らず、原告は多大の精神的苦痛を蒙つたばかりでなく、殊に昭和三〇年二月碑文谷警察署の呼出をうけてから同年九月日本弁護士連合会から前科抹消完了の通知をうけるまでの間は、自己の将来に不安を感じ、苦慮するあまり神経衰弱となり、相当期間の静養を要する精神的、肉体的打撃をうけたものであつて、以上の事実に照らし原告の蒙つた精神的損害による慰藉料としては、金五〇万円が相当であると思料されるところである。

七、以上のような次第であつて、台東区検察庁の前記事務員等は過失によりその執務を行うにあたり違法に原告に損害を加えたものというべきであるから、国家賠償法第一条に則り、被告は原告に対しこれが賠償の責に任ずべきものである。

よつて原告は被告に対し、前記金員合計金五〇万四三六六円及びこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三〇年一一月二日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告の抗弁に対しては左のとおり述べた。

仮に当該検察庁が、自庁に対応する裁判所が言渡した刑以外の前科について抹消手続をする権限がなかつたとしても、原告としてはその余の前科が存することについては、当時全然知らなかつたのであるから、前記事務官等としてはその余の前科三犯が前科調書に記載されていることを原告に告知すると共に、同検察庁にあつては、独断的にこれを処理することなく、慎重に検討して上級官庁の指示を仰ぎ、その意向を汲んでこれが処理をはかるべき義務を負うものというべきところ、右事務官は原告に右記載を告げなかつたばかりでなく、何等かゝる挙に出ることなく、前掲処置をもつて事足れりとし、二年有半を経過したというのであつて、かくの如きは職務上の義務に違背するものであることは極めて明らかである。

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁並びに抗弁として次のとおり述べた。

原告の請求原因事実につき、

(一)  第一項のうち、原告が今日まで刑罰をうけたことがないことは認めるが、その余は知らない。

(二)  第二項のうち、昭和二七年六月頃台東区検察庁が、原告宛に裁判費用を納入されたい旨の通知を発したこと、これに対し原告が同庁に出頭して人違いである旨を申立てたこと、かような通知が発せられたのは、訴外布施貞が原告名で窃盗被告事件につき有罪判決をうけていたことによることはいづれも認めるが、その余は争う。

(三)  第三項は認める。

(四)  第四項は認める。

(五)  第五項はこれを争う既決犯罪事件について犯罪者の本籍地を管轄する地方検察庁及び市区町村役場に通知後、その犯罪者に氏名詐称等の事実が判明したとき、これが訂正手続については何等法規上の定めがないのであつて、台東区検察庁検察事務官藤脇宏太等が、原告に関する前科全部を抹消しなかつたことは、何等右事務官等がその職務上の義務に違背したことにはならない。

(六)  第六項のうち、昭和二四年七月(昭和二七年ではない)原告の本籍地付近で殺人事件が発生したことは認めるが、その余は争う。仮に原告がその主張のような損害を蒙つたとしても右事務官等が原告に関する前科全部の抹消手続をとらなかつたことゝ、原告の蒙つた損害との間には因果関係がない。したがつて右事務官等において右抹消手続をとらなかつたことに過失があつたとしても、これによつて違法に原告の権利を侵害して精神上、物質上の損害を与えたことにならない。すなわち、台東区検察庁、碑文谷警察署等が原告を呼出したことには何等の違法がないばかりでなく、前科調書その他前科のあることを記載した書面は、これを保管する官庁において特に法律上の必要がある場合を除き、これを公にすることはなく、一般には何人もこれを知ることができないから、これを公にしない限りその者の名誉又は信用を傷つけることはありえないところ、右保管庁にあつてはこれを公にしたことがないのみならず、また原告に対し前科の記載があることを理由に何等法律上の不利益を与えていないのであるから、これにより原告に精神上、物質上の損害を与えることもありえないところである。

抗弁として、

なお台東区検察庁にあつては、その管轄に対応する台東簡易裁判所が言渡した判決に関する前科についてのみ抹消手続をとつたものであるが、その余の前科については原告からこれが抹消の申立がなかつたものであり、仮にかゝる申立があつたとしても、それは他庁の管轄に属する前科であるから、同庁において直ちに抹消手続をとることができないものである。したがつてかような記載に不満のある原告としては、当該判決の執行をする検察庁に赴き、その抹消方を申出る必要があり、かゝる措置をとらなかつた原告にこそ過失がある、といわなければならない。

証拠として、原告は甲第一号証乃至第六号証を提出し、証人高橋潔、藤脇宏太、同後彰、鈴木重雄の各証言、原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立(但し乙四号証乃至第一三号証については原本の存在及び成立)はすべてこれを認め、被告は乙第一号証、第二号証の一乃至三、第三号証乃至第一三号証(但し第四号証以下はいづれも写である。)を提出し、証人戸谷定吉、石川重次郎の各証言を援用し、甲号各証の成立はすべてこれを認めた。

理由

原告本人尋問の結果によれば、原告が昭和二〇年三月東京都立第一商業学校を卒業し、同年四月日本放送協会職員養成所に第一技術科学生として入所、同二二年一一月同養成所卒業と同時に同協会技術局工作所に勤務するうち昭和二四年東京都立大学工学部電気工学科に入学し、昭和二九年同大学卒業後前記協会施設局送信設備部において機械の設計に従事していたことが認められ、且つ原告が今日まで刑罰に処せられたことのないことは当事者間に争がないところである。

ところが、原告は昭和二七年夏頃台東区検察庁から「裁判費用を支払え。」との通告をうけたので、直ちに同検察庁に出頭して人違いである旨を申出たところ、調査の結果かゝる通告が発せられたのは訴外布施貞が原告の名で窃盗被告事件につき有罪判決をうけ、その国選弁護料が未納であつたことによるものであることが判明したことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第六号証、証人藤脇宏太の証言、原告本人尋問の結果によると、訴外布施貞(たゞし)は通称布施正といゝ、本籍は千葉県匝瑳郡匝瑳村尾生であつて、昭和二一年頃窃盗容疑で千葉地方検察庁松戸支部に検挙されたとき、同訴外人の本籍が原告のそれと類似しており、(原告の本籍は千葉県匝瑳郡八日市場町(現在八日市場市)ロの二五八である。)、而も原告と同姓で、且つ名を「たゞし」と呼ぶことから、同検察庁では偶々誤つて原告の本籍地役場から取寄せられた原告の身上調書にしたがつて取調べがすゝめられ、同庁では同訴外人を原告と同一人として取扱つて起訴した結果、同訴外人は原告名義で同二一年二月一八日松戸区裁判所において懲役一年六月の判決言渡をうけたのをはじめとして、同年一二月五日同裁判所言渡懲役一年、同二五年一月三一日浦和簡易裁判所言渡懲役一〇月、同二六年四月二五日台東簡易裁判所言渡懲役一年二月の各窃盗前科を重ねたが、これらはすべて原告名義の前科調書上に登載されるに至つたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そこで原告は台東区検察庁に対し、原告にかゝる前科の抹消を要求した結果、昭和二七年一〇月九日同庁から右抹消手続完了の旨の通告をうけたこと、ところが昭和三〇年二月初旬重ねて碑文谷警察署から呼出をうけ、同月八日出頭したところ、東京高等検察庁からの指令で裁判費用の件で取調べる旨を告げられたので、原告は前記事情を説明し、更に同高等検察庁に出頭して抗議したが要領をえなかつたゝめ、再び台東区検察庁に赴いて抗議した結果、さきに同検察庁は前記抹消手続をとるにあたり、自庁に対応する台東簡易裁判所が言渡した最終刑についての前科の抹消手続をしたにとどまり、その余については何等の手続をとらなかつたゝめ、それが前科調書上に残存し、それに関する国選弁護料が未納であつたことによることが判明したこと、原告が昭和三〇年二月一七日日本弁護士連合会人権擁護委員会に提訴し、同年四月四日に至り、その余の前記前科全部の抹消がえられたこと、はいづれも当事者間に争がない。

原告は、台東区検察事務官藤脇宏太並びにその上司である検察事務官井上某が前記抹消手続をとるにあたり、原告に関する前科全部について抹消手続をなすべきであつたに拘らず、その一部についてなしたに過ぎなかつたのは、同人等が過失により職務上の義務に違背したものである旨主張する。成立に争のない甲第一号証、乙第一号証、第二号証の一乃至三及び証人藤脇宏太の証言(後記信用しない部分を除く。)、原告本人尋問の結果を綜合すると、台東区検察庁雇員藤脇宏太(昭和三〇年八月一日検察事務官に任官した。)は昭和二七年夏頃原告の申立により、上司から本件調査を命ぜられ、まずその頃訴外布施貞の実母布施ヨネが千葉県市川市に居住することが判明したので、同女を訪ねて布施貞が同女の息子であり且つ前科が数犯あることをたしかめ、更に同女を台東区検察庁に呼出した上、検察事務官井上某(その後死亡した。)からも事情を聴取し、調査した結果、同庁では原告の申立にかゝる前科は人違いであつて、訴外布施貞が言渡をうけた刑がすべて原告の前科として記録上に登載されていることを確認したので、同年一〇月九日付で千葉地方検察庁犯罪表係及び千葉県八日市場町長宛に、昭和二六年四月二五日台東簡易裁判所言渡にかゝる既決犯罪事件通知は人違いであるから台帳よりこれを抹消し、同通知書を返送してもらいたい旨を通告し、台東区検察庁保管の右通知書控には布施正こと布施貞として、本籍・生年月日を訂正すると共に、原告に対し不当前科取消手続完了の通知(甲第一号証)を発したこと、なお右藤脇等は、前記調査の際、原告名義の前科には、右台東簡易裁判所言渡のものゝ他昭和二一年中に千葉地方裁判所松戸支部言渡のもの二件、昭和二五年浦和簡易裁判所言渡のもの一件、以上三犯があることが判つていたけれども、これらの前科の存在を告知することにより原告が一層悲観するであろうことをおそれ、殊更にこの点に触れることを避けて原告にこれを告げなかつたばかりでなく、これらの前科については自庁の管轄外のことであるとの理由から、同庁ではこれが抹消のための手続は何等これをとらなかつたことを夫々認めることができる。もつとも証人藤脇宏太の証言中には、右認定に反し、「他庁関係の前科については松戸区検察庁及び浦和区検察庁に対し、公文書で右各前科は布施正こと布施貞の人違いであること、並びに布施貞の本籍・生年月日等を明記して、各調査方を勧告した。」との証言部分が存するけれども、一方同証言中の「ところが台東区検察庁内には当該公文書の控が保存されていないし、それらの官庁から右各文書に対して何等の照会はなかつたと思う。」との部分、並びに証人石川重次郎の証言中の「他庁に対しかゝる公文書を発したときは、発信庁にその資料が残つていなければならない筈だから、藤脇がいうような処置がとられたとは自分には信ぜられない。」との部分に照らして直ちにこれを信用することはできず、他に前記認定を覆し、台東区検察庁が他庁関係の前科抹消のため何等かの手続をとつたことを認めるに足る証拠はない。

然しながら、凡そ国家公務員は国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行にあたつては全力をあげてこれに専念しなければならない(国家公務員法第九六条)のであり、特に検察庁は国民の基本的人権と最も密接な関係を有する職務を行う官庁であるから、その職員は他官庁の職員に比し個人の生命・身体・財産・名誉・信用の保護については一段と高い識見をもち、誠実に事件の処理にあたるべき職務上の義務を有するものといわなければならない。したがつて、成立に争のない乙第四号証乃至第八号証、証人戸谷定吉、石川重次郎の各証言によれば、当該検察庁係官が既決犯罪事件について犯罪者の本籍地を管轄する地方検察庁及び市区町村役場に通知後、その犯罪者に氏名詐称等の事実が判明したとき、これが訂正手続については何等法規上の定めがなく、又かゝる手続に関する通達等もないことが認められるけれども、さればといつてかゝる事実が判明したときそのまゝこれを放置しておかなければならない道理はなく、自庁で検討してなお処理方法が判らない場合には、上級官庁の指示を仰いで処理にあたる等、適切な措置に出でるべき職責を有するものというべく、況んや個人の名誉、信用等に重大な影響を及ぼす案件にあつては、自己の直接管轄内にある仕事をすることで能事足れりとせず、特に慎重にこれを取扱つて後顧の憂なからしめるよう万全の措置をとるべきであり、したがつて本件のように原告に関する不当前科が判明したかぎり、自庁関係の前科のみの抹消手続をとることをもつて満足することなく、むしろ他庁関係のものについても積極的に当該庁に対し自庁において収集した資料を提供するなど、すみやかにかゝる前科が抹消されるように最善を尽すべき職務上の義務があるといわなければならない。そして台東区検察庁においてかような措置がとられていたとすれば、原告名義の前科は相当期間内にすべて抹消されたであろうことは想像に難くない(原告が昭和三〇年二月一七日日本弁護士連合会人権擁護委員会に前記提訴をなし、同年四月四日原告名義の前科全部が抹消されるに至つたことは既述のとおりである。)ところであつて、然らば昭和二七年一〇月九日前記抹消手続完了の通知をうけてから二年有半を経て、なお原告が碑文谷警察署に出頭を求められるような事態が発生しなかつたことも事理の当然である。ところが、台東区検察庁の前記係官等にあつては本件について慎重審議してことをはからず、上級官庁に連絡して指示をうけることもなく、軽率にも自庁関係の前科抹消手続のみをもつて事足れりとしたというにあつて、かくの如きは、国の公権力の行使にあたる同庁雇員藤脇宏太及びその上司である検察事務官井上某等係官が少くとも過失により職務上の義務に違背したものというを妨げないものである。

被告は、原告は台東区検察庁に対し、その余の前科の抹消を申立てなかつたし、仮に申立があつたとしても他庁の管轄に属する前科については同庁で抹消手続をとることができないものであるから、原告自身が当該判決の執行庁である検察庁に抹消方を申立てるべきであり、したがつてかゝる措置に出でなかつた原告にこそ過失がある旨主張するけれども、既に認定したところから明らかなように、台東区検察庁にあつてはその余の前科については前記藤脇が殊更に原告にこれを告げなかつたのであるから、原告としてはこれを知らなかつたというべきであり、したがつて原告はこれが抹消を申立てるに由なく、被告の主張自体失当であるといわなければならないばかりでなく、仮に原告がその余の前科の存在を察知していたとすれば、本来原告の申立は当然不当前科全部の抹消を意味するものというべきであり、同庁で抹消手続がとられる限り、原告としては不当前科全部が抹消されることを信じていたであろうし、況んや同庁から抹消手続完了の通知をうけた後に、なお自己名義の前科の一部が抹消されることなく残存しているなど想像だに困難なところであるから、原告がその余の前科の残存を確認しこれが抹消を申立てなかつたとしても、これを責めるのは失当であり、結局被告の主張は理由がないものといわなければならない。

そこで原告の主張する財産上並びに非財産上の損害について判断する。原告は、昭和二七年夏頃台東区検察庁に二回、同三〇年二月中碑文谷警察署、東京高等検察庁その他に数回各出頭のための交通費等として合計金四、三六六円の損害を蒙つた旨主張する。原告がその主張の頃右各官署に出頭したことは当事者間に争がないところであるが、昭和二七年夏台東区検察庁に出頭した分については、そのため原告が交通費等を要したとしても、右は原告の主張する被告側の過失行為より以前の事柄に属し、到底右過失行為との因果関係を認めることはできないから、その余の判断を俟つまでもなく理由がなく、又昭和三〇年二月中原告が前記各官署に出頭するため電車・自動車等の交通機関を利用したことは原告本人尋問の結果によつてたやすくこれを認めうるけれども、その各場合に利用した交通機関の種類・区間等については右尋問の結果によるも明らかでなく、他に当該交通費等の明細を認めるに足る資料はない。よつて原告の右主張はいづれも理由がない。然しながら、証人鈴木重雄の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和二七年一〇月台東区検察庁から不当前科抹消手続完了の通告をうけることにより、それまでの不安は一旦解消したけれども、その後二年有半を経て重ねて碑文谷警察署、東京高等検察庁、台東区検察庁等に出頭を余儀なくされ、そのため再三欠勤を重ねるうち、勤務先にあつてもとかくの風評を生み、原告の名誉・信用は著しく傷つけられたばかりでなく、原告は生来神経質であつたから、昭和三〇年夏頃前記前科全部が抹消されたことを知るまでの間は、常に本件のことが念頭を去らず、自己の将来に不安を感じて神経衰弱気味となり医師の治療をも必要としたこと、原告は勤務先である日本放送協会における成績も優秀で上司の信望も厚く、将来を嘱目されていたところ、昭和三二年四月頃右協会を退職して防衛大学に転ずるに至つたことが認められるのであつて、以上の事実は抹消さるべくしてされなかつた前科の存することゝ因果関係にたつ原告の非財産上の損害であるというべく、被告側において原告名義の前科調書その他前科のあることを記載した書面を公にしたか否か、或は又原告に対し前科のあることを理由に積極的に法律上の不利益を与えたか否かは問うところではない。

以上のような次第であるから、台東区検察庁雇員藤脇宏太及びその上司であつた検察事務官井上某等係官はその職務を行うにつき過失により職務上の義務に違背し、違法に原告に前記損害を与えたものというべく、被告はこれが賠償の責に任ずべきところ、原告の学歴、職業、地位、収入(原告本人尋問の結果によれば、原告の昭和三〇年頃の月収は約二万七、八〇〇〇円であつたことが認められる。)その他諸般の事情を考量すると、原告の前記非財産上の損害に対する慰藉料額は金二〇万円が相当であると思料されるので、原告の本訴請求は右金員及びこれに対する訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和三〇年一一月二日から支払済まで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるが、その余は失当として棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、仮執行の宣言は不相当と認めてこれを付さないことゝし主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川真佐夫 斎藤次郎 海老塚和衛)

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